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​Real vol.5

「本物を追求し続ける。」

本物とは何か。

「嘘、偽りのないこと」

それは間違っていない。

しかし、

辞書にはもう一つの意味がある。

「見せかけではなく、

実質を備えていること」

上手く魅せようとしない。

「実」を伝えるのだ。

 

和太鼓集団 鬼太鼓座

​  座長 松田 惺山

      

 ×

合同会社レッドクリエイト

 

 A.Ka代表 三井所 健太郎     

          

n日本和太鼓の原点と呼ばれる「鬼太鼓座」

国内外から名声と評価を浴び続けるも、

その活動の根底は

「本物の音を追求すること」に向けられてる。

ショービジネスではなく、波動を通じて眠った本能を引き出すこと。

表現者のリアルな現場に伺いました。

​前編

後編

世代をつなぐということ。

​前編

​世代をつなぐということ。

​話はまだまだ続きます。

三井所

松田​

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所​

松田

三井所​

松田

三井所​

松田

三井所​

松田

三井所​

松田

三井所

松田

三井所

松田

松田さん自身のこともお聞きしたいと思います。

 

はい。

 

そもそもになりますが

松田さんと鬼太鼓座の出会いって何だったんですか?

 

そうですね。

私は元々、鬼太鼓座とは全く縁はなくて

音大を出て尺八のプロとして音楽活動をしていました。

鬼太鼓座が所属していたビクターエンタテインメントからの仕事も受けていましたが、プロの演奏家の道をまっすぐに歩んでいました。

 

今の鬼太鼓座の世界とは

全く異なる世界ですね。

 

はい。

ただ、当時、鬼太鼓座はビクターエンタテインメント所属だったんですね。

その時に、良くお世話になっていたビクターのプロデューサーの方から「鬼太鼓座でCD三部作を作るから手伝ってくれ」、と言われたのがご縁のはじまりです。

 

いつぐらいの話ですが?

 

25年ぐらい前ぐらいですかね。

でも当時の私は和太鼓が「大嫌い」だったんです。

 

それは衝撃です笑

 

これは本心からそう思っていて、なんかこう、うるさいだけだし、わざとらしいし、「どうだ」という見せ方が嫌いで嫌、嫌だったんです。

相当嫌いだったんですね。。

でも頼まれたのがビクターのお世話になっていた方からでした。

だから、「まあ単発の依頼だから、いいか」と仕方なく引き受けました。

そうするとすぐに、鬼太鼓座の

創始者である田耕(でんたがやす)から電話が来て、一方的に日にちと場所を伝えてきました。

 

そのときはまだイヤイヤ?

 

はい。

で、仕方なく指定の場所に行ったら誰もいない。

確認したら、田の日程間違えだと。

(笑)

 

実際の演奏は明日だと聞かされて、

その日は仕方なく現地に泊まりました。

 

すると翌朝、田がやってきて、悪びれもせず明るく元気にその日の演奏のことについて一方的に喋られて、あーだこーだと。

イメージも悪ければ出会いも最悪だったんですね笑

はい。

最悪でした。

ところがです。

そこで舞台に立って、本番が始まると、鳥肌が立ったんですね。

 

何だこれはと。

和太鼓の音に飲み込まれていって。

そこで演奏すると素直に気持ちよかったんです。

それがきっかけだったんですね。

 

はい、

和太鼓を打ち鳴らす鬼太鼓座が貫く姿勢から、私の中で和太鼓に対する今までの概念が変わったことを覚えています。

ただ、私は私で自分の音楽のプロの道を

既に切り開いていました。

結果的には、CDの完成を持って鬼太鼓座との関わりは区切りをつけました。

 

そうだったんですね。

 

はい。

そのはずだったんですが。

しばらくして田から電話がきました。

「田だ。今日、公演だけど何でいないの?」と。

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

当たり前のように笑

はい。

私も予定があったので、丁重に断ったんですが

また続いて。

 

今度は大阪から

「何で来ないんだ?」と

 

逃さない。。

 

 

はい。

しかもそれは大阪の1ヶ月公演の初日です。

 

私も様々な仕事を抱えていたのですが、

その時は鬼太鼓座・田の理不尽なまでの熱意と勢いを感じ、どうにかやりくりをして

飛行機で移動。開演40分前にホールにつきました。

 

 

本当に聞かされてなかったんですね。

 

 

はい。

そして、着いて早々、田が何をいうかと思ったら

「観客席に登場して、月の法善寺横丁を演奏してくれ」と、

急に言い出したんです。

 

40分前に。

 

できないとは言いたくなかったので、

やりました。

田氏が惚れ込んだ松田氏の尺八 

​三井所

 

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

​三井所

どうだったんですか?

 

それがですね、、

大阪なので、月の法善寺横丁を演奏するとおばちゃん、おっちゃん達が一緒に歌い出すんですね笑

気持ちよくなっちゃった。

そう。

おおー♪と。

歌いだすんですよ。

田もすかさず、

「君のやるべきことはわかるか?

お客様は君の技術を聞きにくるんじゃない。

お客様の歌心を紡ぎ出してやるのが君の仕事だ。」

などと、言いだして、、、「一本取られた!」

上手いこと言うわけですね。

はい、その手には乗せられないぞと、。

ただ、公演終了後ですかね。

観客が笑顔で「今日面白かったわね」といって満足そうに帰っていくわけです。

私は実はそう言う経験がなかったんですね

そうなんですか?

 

はい。

芸術音楽を専門にしていたので、

「あの人の演奏、今日はここがこうだったわね」

と言う重箱の隅をつつくような世界で生きてきてたんです。

そこは完璧を求め、人より上手に演奏をすることが絶対なる正。

そのような世界でやっていたんです。

型があるわけですね。

はい。

にも関わらず、決してキレイにリズムが合っているとは言い難い鬼太鼓座の和太鼓。

そして、短時間に集中して仕上げた尺八の演奏で喜ぶ観客の反応に気持ちよくなっている自分がいたんです

それからは、1ヶ月間の大阪公演も

付き添いましたし、定期的に鬼太鼓座の公演に呼ばれ演奏していました。

正式な入座はしなかったんですか?

はい。

その時もあくまで主な活動は芸術音楽で、その隙間で協力するといった関係性でした。

なるほど。

そういった日々が続く中で、田が交通事故で突然亡くなりました。

そうだったんですか。

その知らせを受けた時、私はNHKスタジオパーク出演に備えてのリハーサル中でした。

直ぐにリハーサルを抜け出して、通夜と葬式の段取りを手伝ったことを今でも覚えています。

その直後ですかね、

鬼太鼓座とビクターエンタテインメントの方々で集まるので同席してほしいと依頼を受け、私も参加したのです。

「これからどうするのか」と。

はい。

その時に私が40代。

鬼太鼓座は今のリーダの吉田が当時はまだ20代。

その間がいなかったんです。

舵取り役がいない。

はい。

ただ、納棺前の田の顔や足裏を見、葬式で田の顔を見たときに、田が生前語ってくれた生き様を思い出し、

「彼の作った鬼太鼓座をこのまま潰すわけにはいかない」

と思いました。

そして、これまでの出来事を振り返り

「これはもう運命だな」と。

座長を引き受けました。

 

 

人生でもかなり大きな選択かと思いますが、迷いはなかったんですか?

一瞬悩みました。

主たる活動である芸術音楽の世界を継続すれば、演奏家として演奏に集中できるし収入もそこそこ安定していました。

家族を抱えて無理はしたくなかったので。

ゼロからの挑戦だったんですね。

はい。

ただ、決めたらやるしかないと。

そして1年間は無休&無給で働きました。

それからなんとかこの本物の音に理解をいただける支援者やお客様の協力も集まりました。

海外や国内、様々なところから鬼太鼓座活動の機会をいただいています。

確かに。

国内外常に動き回ってますよね。

はい。

おかげさまで忙しくさせてもらってます。時もたち、今じゃ孫も三人。。

、、おじいちゃん、休めないですね笑

鬼太鼓座の音は想いを持って引き継がれる 

​三井所

 

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

 

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

三井所

松田

長い関わりを続けられて、

松田さん自身は鬼太鼓座の今後をどのように考えていますか。

そうですね。

やはりショービジネスにはしたくないんです。

一時的に儲かるかもしれませんが、

色々とやることに制限が出てきてしまいますので。

確かに、

みせかけのパフォーマンスに

鬼太鼓座の本質はないですからね。

私も長く鬼太鼓座に関わってきました。

鬼太鼓座の本質は変わらないにしても

事実として時は流れています。

その中で世代を繋げる必要があると考えています。

なるほど。

具体的にはどのような取り組みをされているのでしょうか?

より多くの関わりを持つことを意識しています。

例えば、ミュージック&リズムスという世界規模の取り組みにも参加しています。

詳しく教えてください。

はい。

これは世界の音楽家が集い、地域の子供に竹を使った音楽表現を教え、参加者全員で公演を行うといったものです。

「自然」「音楽」「地域」「地球」を根底に据えた、とても素晴らしい取り組みです。

面白いですね。

そして直近でいうと、2020年の東京オリンピックに向けて、世界ツアーを行います。

お忙しいですね。

先週はプロのラグビー場の開幕式で演奏されていましたし単に公演を行う、だけではないですね。

そうですね、ボランティアや社会貢献も含め、鬼太鼓座を通じて関われることは多くあると思っています。

そしてその中で、鬼太鼓座の活動に理解を示し、支援をいただける方を一人でも増やしていくことが、

「世代を引き継ぐ」、私の使命でもあります。

その中で、今回「A.Ka」とのコラボレーションにも協力いただきました。

はい。

全く分野の異なる当ブランドとのタイアップにご協力いただいたのには理由があるんでしょうか。

そうですね。

やはり「本物」を求めているという根本の共通点があったからです。

現代は、便利になり、非常に早いスピードで物事が流行り廃れていきます。

そして、それはモノとコトだけでなく、ヒトも同様です。

そうですね。

ヒトの使い捨てが起きています。

 

はい。

これは、音楽に限らず、食品や衣服など、どの業界にも言えることです。

その中で、ヒトである私達は流行に乗り遅れないように、人からいい評価をもらえるように、自分の本来の感性を押し殺して、ニセモノの感性で生きています。

本当の自分と向き合うことが少なくなってきた。

そうです。

三井所さんから連絡を貰った時に、A.Kaのパンツのコンセプトを聞きました。

そして、お話をすると、A.Kaは決して奇をてらったものでもないし、流行や評価を求めたものでもない。

はい、

「本物を、ジブンに」というコンセプトはそこを大事にしています。

自分の本心と体に向き合っていることがよくわかりました。

「本物を追求し、届け続ける。」という点で共感し、今回タッグを組ませていただきました。

そういっていただけると嬉しいです。

これからも、本物を届ける同士として

良い関係を気づいていきたいと思います。

同じ思いです。

本日はありがとうございました。

ありがとうございました。

​最後に。

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​「本物」を、ジブンに。